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心にもない言葉

しゃべる早さ。話をするテンポ。
聞きとりの力。話の理解力など会話における頭の回転。
その速度は人それぞれであるということを、あなたは理解しているだろうか?

そんなことは言われなくても分かっているという方には申し訳ない。
だが、無意識的に分かっていない人が実際問題、結構いるのである。

そういう人たちは、さも自分が正しいという顔をして、自分と違う相手をボロクソにバカにする。
否定する。
自分と違うイコール駄目な奴だと平気で言ってのける人もいる。

例えば、しゃべるのが早くて聞きとりづらいなと思う彼女に対して、自分の聴力の方が聞こえづらいのかもしれないとは全く考えない。
しゃべるのが早い相手が悪い。

早くて何を言っているか意味が分からないから、自分は聞きとれなくて、話が理解できないのだと文句をつける。
お言葉だが、私には難なく彼女の話が理解できているのだが?
そこをどうお考えであろうか?

つまりは自分が全く見えていないのだ、言葉とは裏腹に。
「自分の事は自分が良く知っている」
実際に解っている人は皆無である。

客観視できる人の絶対数は少なく、その他大勢は、単なる追及を逃れるための捨て台詞でしかないのだ。
視野が狭い人間ほど、自分が中心であり絶対的存在であるために、他人の意見は聞き入れない。

段々と付き合いもなくなっていくわけだが、自分が蒔いた種だと気づく機会も、そう多くはない。
ますます孤立していくのだ。
これが後天性コミュニケーション障害の原因。

人付き合いと言葉の難しさについて

言葉遣いは自信があった私ですが、最近めっきり自信を無くしています。
言葉のチョイスはとても慎重。
上手く伝わらないこともありますし、誤解させてしまうこともあります。
同じ言葉をある人はこちらが思ったように受け取ってくれる。

でもまたある人は、悪く受け取るのです。
私自身は、人から言われた言葉を悪く受け取ることはほとんどありません。
あれ?っと思うことも無いわけではありませんが、その人が誠実な人であることを知っていますので、言葉を間違ったのだろうと素直に思うことができるのです。
明らかに悪意を持って話している方は別ですが、誰にでも言い間違いはあるものだと思います。
もちろん私もです。
ですから、わざわざそう悪く受け取ろうとしなくても良いのになと思うのです。
これらは、近所や学校など仕方なく付き合う場面での話し。
会社などでは、言葉の行き違いはほとんどありません。
この違いはどこから来るのでしょうか。
たぶん、本当は誰にでも言い間違いがあることを皆知っているではないかと思います。
ビジネスの場であれば、素直にそれを許して、できるだけ早く仕事を進めたいと思う。
でも、プライベートとなると途端にそれができなくなってしまう。
自分と言うものを知ってくれていない場所で行動しなければならないという事は、不安が多く、その為相手の言葉に敏感になってしまうのかもしれません。
いつどこから否定されるのかと心配。
或いは、一緒に仕事をして報酬を得るわけでもないので、我慢する必要もないと言うことなのでしょうか。