既存の壁やフェンス、階段、ビルなどを上手に利用して、ジャンプしたり、バック転したり、街中を走り回る人たちを撮影したビデオをネットで見ました。
フランスやイギリスの話みたいで、一種のスポーツというかアートというか、その両方を組み合わせたパフォーマンスです。
一つのビルから次のビルへと、屋上をジャンプして走りぬけていくなど、かなり危ないこともやっているので、日本だったら、そんなパフォーマンスはできないかもしれません。
必死になってスポーツなどしないような男の子たちがいとも簡単そうにやっているんですけれど、体力づくりやジャンプの特訓など、体育会系のノリで準備もしっかりとしているので、基礎があってこそのパフォーマンスなんだと思います。
私もあんなふうに街中をジャンプしたり、宙返りしながら走り抜けてみたいと思いますが、到底無理です。
せいぜい妄想の中で目的を達成したいものですね。
まあ、動画サイトなどで彼らの活動を見たりしますが、稀に失敗シーンがあり、こちらも痛い感覚になるのは不思議ですね。
痛みを知っているからこその共感ということでしょうか。
最近の話題では、ピストバイクというブレーキの無い自転車について、問題視されていました。
足の力だけでスピードを落としていく原理なのですが、つまりは競輪選手が試合で使うものと同じなのだそうです。
急に止まらなければならない場合、素人ではコントロールは無理ですね。
スノボの悪夢
私がスノーボードを滑りに行ったのは、後にも先にも一回きり。
あれは大学の卒業旅行だった。
友人たちと連れ立って、10人くらいでレンタカーを借りていった。
5人くらいはスノボ経験者で、あとは初心者、教えてもらいながら滑ることにした。
もちろんスノボは人生初めて、スキーの記憶もいつの間にか途中でそり滑りになっているほど、ウィンタースポーツに縁のない私は、どこでどうやってボードや靴を借りるのか、道具は他に何がいるのか、持ってきた持ち物はどこまでを預けておけばいいのか。
そんな細かいことは一切わからず、半分パニックになりながらなんとかみんなの言うとおりにしていた。
けれども貴重品の扱いだけは、どうしたわけか断固として自分の判断に従い、誰も持っていないのにきっちり財布を預けないで持ち歩いていた。
預けて何かあったら帰れなくなってしまう、というのが怖かったのだ。
なんとかウェアのポケットにねじこんで、転び転び、初スノボを楽しんだ。
雪の上なのに、なんと体が熱くなることか。
ボードを片足に繋いだまま、滑り降りてきた坂をてっぺんまで上るのは並大抵のことではなかった。
いっそのことボードを外してしまえば楽なのに、なんてまどろっこしいんだ。
それでも必死に登り、そしてまた必死に滑り降り、というか転がり落ち、リフトではあまりに下りるのがへたくそすぎて、係りのおじさんに本気で怒られたりして、昼ごはんになった頃にはすっかり全身筋肉痛になっていた。
ちなみにそこで食べたカレーは本当に美味しかった。
スキー場等で食べるカレーがひどく美味しいということはすこぶる有名な話である。
さて食事も済んで、一休みしたし、さあもう一滑り…と思ったとき、ふと違和感を感じた。
財布がない。
一瞬目の前が真っ白になるとはこのこと。
そして、天地がひっくりかえるというのも、足元の地面が音を立てて崩れるというのもこのこと。
猛烈な勢いで、昼食時にとった行動をさかさから繰り返した。
行った所は全てみたし、ゴミ箱も見た。
拾得物保管所にもいって、連絡先も書いてきた。
けれども、財布は一向に出てこなかった。
保管所の人は、きっと出てくると励ましてくれたが、待てど暮らせど私の財布は姿を見せてはくれなかった。
もう、7年前の話だ。
実は、今でもその財布を待っている。
私の楽しい思い出を苦い思い出に塗り替えたその財布。
出てきてくれたなら、またいつでも楽しい思い出に塗り替えられるのだ。