昔の子供たちは道具が何もなくても、遊んでいました。
「だるまさんが転んだ」「かくれんぼ」「おしくらまんじゅう」などなど。
それに比べ最近の子供たちは、テレビゲームなどへ遊びの種類が転換してしまい、道具がないと遊べないし体を使った遊びをしなくなってきたと言われています。
子供たちにとって、体を動かして遊ぶことは何よりのストレス解消法ですし、体と体の触れ合いを通して相手の重さや痛さ、温かさなどを感じることは大切な体験のひとつです。
なかでも体をぶつけ合って遊ぶことは、「これ以上はいけない」という「加減」を知り、思いやりにつながります。
ぶつける、と言っても荒々しい遊びばかりではなく「手のひら相撲」や「おしり相撲」など簡単なものもあります。
子供の年齢や体力に合わせて、子供と一緒に楽しんでみましょう。
核家族化によって兄弟姉妹を持つ家庭が少ないため、子ども同士でじゃれることに慣れていないために、力加減がわからずに時としてトラブルになることもあるそうです。
「叩く」という動作にしても、笑う過程で、相手の肩などを軽く叩いて面白いということを伝える時がありますが、この力加減が無いために、殴るに近いケースもあるのだそうです。
極端な例だと思うかもしれませんが、事実としてあるようで、信じられないですね。
イメージのぶつかり合いなら、加減はしなくてもいいんですけどね。
子供時代の遊びの思い出
私は小さい頃7階建てのマンションに住まっていた。
あれはいつごろだったろう。
バブルごろだったろうか。
やたらに同世代の子供が多かったのを頭の片隅で記憶している。
だから遊び相手に事欠くことはなく、マンションのなかの友達の家を飛び回っていた。
ある家ではおままごととお姫様ごっこを。
ある家ではスーパーヒーローごっこを。
私は特にスーパーヒーロごっこのとき、みんなが怪獣にやられて息絶えてしまう中、たったひとりこの世に残される恐怖に演技ながら耐えられず、自ら進んで敵に倒されていた。
だから最終的にヒーローはいなくなり、そして何故かいつの間にか戦っていたはずの怪獣も不在となり、残されたのはヒーローたちの倒れた姿だけであった。
一体誰が救われたのであろうか。
今思えばとんだヒーローである。
ある意味限りなく現実的で夢がない。
ともかく、その時の心情を如実に覚えているということは、私の自我はその時分から成長していないということになる。
それはさておき、その頃私達子供に流行っていた遊びがある。
それは、釣りごっこである。
マンションの螺旋階段の踊り場として、少しだけ平らなスペースがあったのであるが、そのスペースには柵がめぐらしてあった。
従ってその柵の間はあいているのである。
そこから子供たちは縄跳びの縄の、片方のもち手を垂らすのである。
それは見えない海へ針をほおる行為であり、子供心には釣りに違いなかった。
永遠にかかることのない釣果を気長に待ちながら、子供たちは実に子供らしい無為な時間を過ごした。
いつまでやっていてもいい、いつやめてもいい。
ただ行為の為の行為である。
その遊びには何の意味もなかったが、私は一生忘れることができないだろう。
それは、私たちが始めて自分で作り出したものであったからである。